2017.12.11 第8話

不浄の右手、無垢なる左手。

インドでは「不浄の左手」というらしいが、パパは逆だ。パパの右手は邪悪だ。(笑)いや、小慣れてしまったと言えばいいのか?60年もの間利き手として世間慣れしてしまったのだから当然なのか。箸を持つのも、ペンを持つのも、歯磨きも、お尻を拭くのも、あれもこれも思いつくのは全て右手。思うように使える動く右手がつまらない。利き手なんだから仕方ないと思うが、、、いつしか面白いことに気がついた。
 
利き手の右手でできることを左手でやってみると、「心が自由になる」のだ。もどかしいのだけれど、なんだか面白いのである。試しに左手(利き手じゃない方)で歯磨きしてみるといい、こんなにもできないものか?いやできるはずだ!ジレンマで胸が重くなるのがわかるだろう。そう!物事をスムーズに進められない幼稚園児くらいのやるせなさを感じられると思う。地団駄を踏んでしまいそうになるのだ。
 
ところが、見方?言い方を変えれば、「汚れなき無垢。精錬な左手なのだ。」使っていない分、ほとんど幼児の手なのである。きっと脳からの回路も未開なのではないだろうか?
 
デザイナーという仕事上、文字を書いたりイラストを描いたり、、、どうしてももっと上手に、綺麗に、丁寧に。想い描くところに辿り着こうとする。何度もやり直す。。。。でも面白くない。考えすぎ、小慣れた仕上がりになってしまうのだ。
 
ふと、右手に持っていたクレヨンを左手に持ち替えてみる。縦にも横にも自由に描けない。動かない。でもそれを良しとして、左手の自由にさせてあげる。解放してあげるのだ。なんだか笑ってる。右手を支配していた「何か」が笑ってる。自由に描いていいよって、、、。そうすると不思議と、右手に戻してみても心が放たれた状態が続く。右手で少し修正。どうでしょう!これが左手で描いた、インテリアショップの外観。子供が描いたような「とらわれない自由さ」。
 
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