2018.1.1 第11話
利休にたずねよ
あけましておめでとうございます。今年も「パパスデザインの素」よろしくご笑読のほどお願い申し上げます。
年の暮れに、一本の映画を見た。
「利休にたずねよ」少し時間が空いて「気晴らしに。」と何気なく、PCからAmazonプライムで探していたのだが「これを。」というわけでもなかった。何とはなしに目に止まった。茶道というよりも千利休の「美学」によりフォーカスしているようで観てみることにした。
秀吉に切腹を命じられ、その切腹の朝から時代を遡って場面が進んでゆくのだが、冒頭から驚かされる。
織田信長の屋敷にて献上物を差し出す諸侯の面々。唐物の茶入れ壺、書家の掛け軸、足利家に伝わる茶器などなど、秀逸を極めた「宝」が貢がれてゆく中、日が暮れ月明かりになる頃、利休が訪れる。信長の家臣に「遅いではないか!」と急かされつつも「まだ少し早うございます」と屋敷の門をくぐる。背後に真っ白に光る満月。堺の茶人と紹介され信長の前に通された利休は風呂敷を解いて黒塗りの四角い盆を出す。回りからは「そのようなものを、」と嘲笑される中、ゆっくりと間合いを計って障子戸を開け縁側に盆を置く。波の文様に雁が十数羽描かれたなんの変哲もない黒塗りの盆。懐から竹水筒を出し水を注ぐと、信長の足元に置く。盆にはった水に正面の月が写り込んでいるのだ。信長に捧げたのは黒塗りの盆ではなく、今宵の月。傍らでは、家来になったばかりの秀吉が口をぽかんと開けたままだ。
春の茶会。野点(のだて)ではなく茶室。客人たちに茶を振る舞う頃合いを見計らって、利休の弟子が躙戸(にじりど)を少し開けると、茶室の中に緩やかな風が通る。客人の器に桜の花びらが一枚舞い落ちるという演出、もてなし。茶室の天井を見上げると桜の小枝が二本くくりつけてあった。なんというアイディアなんだろうと思う。
また、新任の宣教師の接待の席での「花」は青竹に一輪のつぼみの寒椿。つぼみ一つで、命の芽吹きと力、生命の輝きを表現したという。
もう一本古い映画(1989年)では、時代が秀吉に移り、秀吉が、平たい土の花器に水を張り、「この梅を生けてみよ」と枝を差し出す。ふと考えた利休は、手のひらで枝を削いで梅の花をもぎ取り花器の水面に散らし、その上に枝を横たえる。なんと粋な発想なんだろう。
信長や秀吉の豪華絢爛とは対照的な、簡素で引き算の意匠、そぎ落とす美学。本質はどこにあるのか探り見極め自分ならではの表現を模索する。それは、まさに、自分がデザインの世界で今までず〜っと目指してきたところだと想う。新年を迎えるタイミングに「いいもの」を見せてもらった。山本兼一の原作も読んでみようと思う。
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